はじめに

はじめに
こんにちは門田道場です。

いつもは鰹のたたきについて書いていますが、今回この記事では高知県の観光地を取り上げていきます。

皆さんは高知県といったら何をイメージするでしょうか。

高知県の定番と言ったら、門田道場でも販売している美味しい鰹のたたきが定番だと思いますが、観光地も多くあります。

その中でも、今回は「はりまや橋」の歴史を中心に魅力を探っていきます。

はりまや橋の基本情報

はりまや橋の基本情報
現在の「はりまや橋」は国道32号線の西側にひっそりとあります。

20メートルほどの赤い橋で、隣にかかる国道を走ると車窓からも見えますが、初めてみた人は気づかないでしょう。

それだけ、はりまや橋は小さなものとなっています。

しかし、歴史を知っていたら「はりまや橋」は高知の文化と切っても切れないものとなっています。

高知県の主な観光地と「はりまや橋」

高知県の主な観光地と「はりまや橋」
高知県といえば、坂本竜馬像をはじめ、桂浜や四万十川といった観光名所は高知県へ行ったことがない人でも知っているのではないでしょうか。

多くの観光名所がある高知県ですが、高知県の中心部には「はりまや橋」という観光地もあります。

実はこの「はりまや橋」は行った人から、日本がっかり三大名所とも言われています。

がっかり名所の「はりまや橋」ってなんなのか

がっかり名所の「はりまや橋」ってなんなのか
「はりまや橋」を知らない人が名前を聞いて最初にイメージするのは、東京にある日本橋のような橋でしょうか。

それとも京都にあるような「渡月橋」のような大きな橋かもしれません。

名前だけ聞くと、歴史的な価値があるイメージがするかもしれませんが、期待が胸膨らむはずです。

簡単に言うと、高知県の中心部にある有名な橋となっています。

地元民から見た「はりまや橋」

地元民から見た「はりまや橋」
正直高知に住んでいる人が、はりまや橋へ行くということはあまりありません。

周辺には、帯屋町など高知市の繁華街がありますので、 はりまや橋の周辺には行く人も多くいます。

また、 高知県を車で走っていると「 はりまや橋」という道路標識を目にすることも。

高知県の道路標識では「はりまや橋」までの距離が表示されている場合も多くあり、県民にとっては馴染みの深いものとなっています。

はりまや橋の歴史的背景

はりまや橋の歴史的背景
ここからははりまや橋の歴史について深堀していきます。

高知の真ん中にあり、県民の私も日常的に見ているものですが、調べてみたら歴史が深いものもありました。

江戸時代に誕生した?

江戸時代に誕生した?
はりまや橋が誕生したのは江戸時代と言われています。

昔からはりまや橋周辺は高知でも帯屋町として商人の街として賑わっていました。

当時、高知の商人である播磨屋(はりまや)と櫃屋(ひつや)を行き来するため、架けられた橋なので、「はりまや橋」と名付けられたのが由来となっています。

その当時の橋は私的にかけられた私橋として利用されていました。

はりまや橋とよさこいの関係

はりまや橋とよさこいの関係
よさいこいの歌詞にも「はりまや橋」のことが使われています。

よさこいは高知県を代表する民謡の一つであり、その歌詞で、「土佐の高知のはりまや橋で 坊さん かんざし 買うをみた」と歌われています。

「はりまや橋」と入っているのは高知でも多くの人が馴染みのあるものとなっていることでしょう。

よさこいの歌詞に入っている理由

よさこいの歌詞に入っている理由
よさこいの歌詞に入っている理由は悲しい恋物語が元となっています。

この話の主人公はお坊さんの「純信」と20歳年下の町娘「お馬」。

純信はお馬と恋仲になりますが、ライバルによって、恋愛禁止のお坊さんがかんざしを買ったことが町の噂になります。

その後、二人は駆け落ちしますが、香川県で見つかり、関所破りの罪となります。

結局は二人は別々の場所へ追放され、その後会うことはなく、お互い結婚したという悲しい恋話の舞台ともなっています。

今まで掛け替えられたはりまや橋

今まで掛け替えられたはりまや橋
実ははりまや橋は今まで何度も架け替えがされています。

初代の「はりまや橋」は江戸時代に堀川にかかる橋でしたが、現在は平成10年に作られた赤い橋となっています。

「はりまや橋」の掛け替えの歴史もみていきましょう。

江戸時代・明治時代のはりまや橋

江戸時代・明治時代のはりまや橋
江戸時代から「はりまや橋」は使われていましたが木製のため、火事によって架け替えも後も使われていました。

明治41年10月に鋳鉄製の橋に架け替え。

それ以降も幾度もなく架け替えが行われてきました。

大正以降時代のはりまや橋

大正以降時代のはりまや橋
大正時代になると高知駅前の都市開発により、鋳鉄製のはりまや橋は撤去され、昭和25年に石造の欄干の橋が完成します。

翌年には「南国土佐を後にして」という歌をペギー葉山さんが歌い、同名の映画も大ヒット。

そのことによりはりまや橋が日本中に知られるきっかけにもなりました。

これをきっかけにはりまや橋が全国的に有名になるきっかけの出来事でした。

高知に複数あるはりまや橋とは?

高知に複数あるはりまや橋とは?
現在は赤い「はりまや橋」が国道西側にありますが、実は、これ以外にも3つの「はりまや橋」があります。

ここでは現在ある別のはりまや橋もみていきましょう。

一つ目の「はりまや橋」は路面電車に車が通る橋
一つ目の「はりまや橋」は路面電車に車が通る橋

まずは、国道の道路と路面電車が走っている場所も「はりまや橋」として利用されています。

実は、「はりまや橋」は路面電車が走る立派な橋なんです。

二つ目はコンクリートの小さな「はりまや橋」
二つ目はコンクリートの小さな「はりまや橋」

道路を渡った東側にもコンクリートの「はりまや橋」があります。

このコンクリートの「はりまや橋」は徒歩のみが通行できます。

橋の下には堀川が流れ市民の癒しの場ともなっています。

地下道にも「はりまや橋」がある
地下道にも「はりまや橋」がある

現在の「はりまや橋」は平成10年に掛け替えれたものとなっています。

平成9年までは古い「はりまや橋」を利用していましたが、地下道に当時の橋が保存されています。

地下道へ行って昔の「はりまや橋」もみるのもいいでしょう。

「はりまや橋」の魅力
「はりまや橋」の魅力

たった20メートルほどの橋でありながら、高知県では有名な橋となっています。

はりまや橋の魅力について最後に探っていきます。

ぜひ、はりまや橋を魅力を知って、高知県へきた際は行ってみるといいでしょう。

行ってみるといい所だと感じられる

行ってみるといい所だと感じられる
現在の「はりまや橋」は綺麗な朱色の橋となっています。

周辺にはビルがありますが、橋の下には小川が流れ自然を感じられることでしょう。

はりまや橋の目の前には路面電車も走り、高知らしい風景が広がっています。

最近では記念撮影スポット
最近では記念撮影スポット

高知県へ旅行へ来た人が記念撮影をしたりするのをよく見ますが、 高知県の夏のイベントよさこい祭りの時は、記念撮影をする人で賑わっています。

よさこいの格好をして、「はりまや橋」で記念撮影をするというのは、 踊り手にとっても思い出に残る写真となることでしょう。

また最近では記念日であったり、結婚式のフォトウェディングを「はりまや橋」で撮る光景を見る機会もありました。

高知県へ行ったら「はりまや橋」へ行ってみて
高知県へ行ったら「はりまや橋」へ行ってみて

今回高知県のがっかりスポット「はりまや橋」を紹介しましたが、試しに一度行ってみるのが良いと私は思っています。

初めて見た人は、予想以上に小さいがっかりする橋だと思いますが、それ以上に歴史はあり、現在も高知県を代表する観光地となっています。

高知県には美味しいものもいっぱいありますので、 お越しになった際には「はりまや橋」へ行ってみてください。

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